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生物学の視点から出発して「生命とは何か」を思索し続ける福岡伸一氏(生物学者 青山学院大学教授)。
一方の阿部裕輔氏(医用工学者、医師 東京大学准教授)は、医用工学の立場で人工臓器を開発し、「生命を救う」手段を研究している。

異なる分野に携わる二人が思い描く、生命の本質とは。
そこに、技術はどのように関わっているのだろうか。
境目がないものに、線を引くのは人間。

──お二人は「健康」とはどういう状態だと思われますか。

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阿部 ── やはり病気でないということが大事です。基本的には肉体が病気でないということ、精神的にも病気でないということ、両方揃っているのが健康な状態と言えます。

福岡 ── 私は生命というのは一種の現象だと考えるので、健康とは動的平衡のバランスが保てている状態だと思うんですね。いろんなあり方があるだろうし、幅もあると思うんです。健康と健康でないことの境界というのは本当は曖昧で、何とかバランスを取りながらウロウロしていれば、それはそれで健康だと言えるのでしょう。

阿部 ── 病気にしても、生物にしても、おそらく何でもそうなんですが、境がないというのが難しいんですよ。どこに線を引くか。健康と不健康って、本来は白黒付けられるものではないんです。血圧は130以下でないと駄目とか、胴回りは85cm以下とかね。

福岡 ── そうした数値によって分節化するのは、すべて人間が勝手に考えている線引きであって、本当は連続しているものです。その値を超えた瞬間にどうなるものでもないし、高い血圧の人はずっとその血圧でやりくりして何とか動的平衡を保ち、それなりに健康でいる人もたくさんいるわけです。

阿部 ── 全部が連続していても、人間はどこかで線を引かなければいけない。生物と無生物も一緒。生物がこっちで無生物がこっちです、なんていうことはないんです。そこで、ウイルスとリケッチア*11の間で線を引きましょうか、となっちゃうわけです。

生きている状態と死んでいる状態にしても、その間は連続しているんですね。じゃあどこに線を引きましょうか、
脳死で線を引きましょうか、ってなるわけですね。

福岡 ── 細胞すべてが死ぬまでには、本当は相当な時間がかかるはずです。

阿部 ── ディープフリーザーに細胞を取って入れておけば、何十年後でも復活する可能性だって十分にある。その曖昧さは、生物学にしても医療にしても同じなんです。

──動的平衡が保てるように臓器が取り替えられると、人間は不死の存在になれるのでしょうか。

阿部 ── 現在の人間機械論はチューリングマシンが考えられて以降、「精神は肉体の中に分かちがたく入っているのだ」というデカルトの時代からは随分変わってきています。若いデジタルネイティブの人たちは当たり前と思うかもしれませんが、今では、ソフトウェアとハードウェアという概念が当然のようにあり、それぞれ別の存在として理解できると。ゲームマシンもソフトがなければタダの箱です。アナログ時代の概念では理解できない時代になっているわけで、ソフトウエアという物理的には実体のないものが、本質の一つである、というのが現在の人間機械論だと私は思っています。

人間の記憶、思考、感情、つまり、精神がソフトウェアとして理解できるようになってくるんですね。ハードウェアだけでなく、ソフトウエア、つまり精神も機械工学のアプローチで全部が作れるなら、ある意味で人間が死ななくなることと同じではないか、という話になってくる。人間の人間たる所以は何かということになってきますが、極端な話、バーチャル空間で生き続ける人が出てくるかも知れない。

福岡 ── 阿部先生のおっしゃる通り、体の代謝の仕組みと精神の仕組みも含めて生命現象を技術的に模倣できるか考えると、今はある種のソフトウェアとして理解可能かもしれませんね。すると、シミュレーションとしての生命が作れて、そのように作られた生命は多分、不死としてあるかもしれない。しかし、リアルな生命としての私たちの体は、死から免れることはできないと私は思います。


(つづく)

(構成・文/神吉 弘邦 写真/渋谷 健太郎)

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記事提供:テレスコープマガジン